清原和博選手が2008年10月1日のオリックス対ソフトバンク戦で、23年間の現役生活を引退しました。
今季最終戦は、4番DHでスタメン入り。
地元大阪(京セラドーム大阪)には清原の最後の雄姿を見に、大勢のファンがつめかけました。
4打数1安打でタイムリー二塁打が出たので、球場も茶の間もホットしたのではないでしょうか。
清原もよく走ってくれました。
特筆すべきは、ソフトバンク杉内の対清原18球オール直球です。
杉内の男気はもちろん、たとえ引退試合といえども、こういうことが公式戦でよしとされるのは、
バッター清原くらいのもんじゃないでしょうか。
そして、ドラマももりだくさんでした。
ソフトバンクの監督はご存じ王監督。
85年のドラフトで、清原ではなく、桑田を指名したのが、当時巨人監督の王貞治でした。
そして、「ああ、清原が泣いています!」の87年日本シリーズ、あのときの巨人の監督も王貞治でした。
まさしく運命的でしたね。
阪神の金本から花束をもらい、兄貴が兄貴へ花束贈呈です。
イチローが正装でひっそりと観戦していたのも印象的でした。
そして、最後は、長渕剛のとんぼ、大合唱でしつこいくらいにサビを繰り返していましたが、
その間、ずっと清原は涙を流しっぱなしでした。
まさしく、子供からお年寄りまで、老若男女かかわらず愛され続けた選手もめずらしいでしょう。
タイプはまったく違いますがこれほどの人気選手といえば、清原以外は長嶋茂雄くらいしか思い浮かびません。
清原選手、お疲れさまでした。
清原選手の動画や画像、ニュースなど
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清原和博23年の歴史
清原選手が子どものころから家族共々巨人ファンだったのは、有名な話。
PLに入った頃は、投手希望だったが、桑田の投球を見てあきらめる。
PL時代の清原は1年で4番。同じくエースの桑田と共に黄金時代を築く。
プロでは巨人入りを熱望していたが、巨人は早稲田大学を志望していたはずの桑田を指名。
清原和博は涙を流し、プロに入って巨人を見返すと決意する。
西武でのデビュー年は、高卒新人では史上最多の31本の本塁打を放ち、新人王に輝いている。
その年の、日本シリーズにも4番ファーストで8試合先発出場し、日本一に貢献した。
3冠王に一番近い男といわれたが、実は足も速かったらしい。
1990年に23歳で、清原和博は史上最年少の1億円プレイヤーになる。
1996年にFA宣言し、清原は、長嶋茂雄の巨人に入団。
阪神の縦縞を横縞にかえてでもとか、長嶋茂雄の3番を譲ってでもと、
この当時の清原への評価は日本野球史上最大のものといっていいだろう。
巨人時代の清原は、松井と3、4番コンビでMK砲を組んだが、どちらかというと期待はずれの印象を残してしまった。
1999年から清原は死球など、ケガとの戦いになる。
2001年は巨人との5年契約最終年で、更新があやぶまれていたところが、この年の清原は、打率.298、29本塁打、121打点と巨人入団以来最高の成績を残し、年俸大幅アップと4年契約を得ている。
2003年、松井が大リーグに移籍後は、清原はペタジーニをライバル、あるいはコンビにしている。
2004年には2000本安打を達成するも、2005年に清原選手は、巨人から戦力外通告を受ける。
そして、仰木監督の誘いで、清原、オリックス入団が決まる。
面白いのは、球団が、吉本興業と提携しているので、清原は、同年に入団した中村紀洋と共に吉本新喜劇に出演していること。
2006年には横浜のクルーンから、逆転サヨナラ満塁本塁打を放っている。こういうのが清原らしい。
2007年はひざの手術で、清原一軍出場なし。
これまでの悲壮にも思える清原のがんばりを支えていたものに盟友桑田のメジャー挑戦があったようだ。
その桑田も清原より一足先に、引退した。
2008年、8/2に清原は、現役引退を表明。
そして、10月1日に、盟友桑田真澄や佐々木主浩が見守る中、清原和博の引退試合が行われた。
まさしくドラマティックな、清原和博の野球人生でした。
清原和博の動画と画像
PLに入った頃は、投手希望だったが、桑田の投球を見てあきらめる。
PL時代の清原は1年で4番。同じくエースの桑田と共に黄金時代を築く。
プロでは巨人入りを熱望していたが、巨人は早稲田大学を志望していたはずの桑田を指名。
清原和博は涙を流し、プロに入って巨人を見返すと決意する。
西武でのデビュー年は、高卒新人では史上最多の31本の本塁打を放ち、新人王に輝いている。
その年の、日本シリーズにも4番ファーストで8試合先発出場し、日本一に貢献した。
3冠王に一番近い男といわれたが、実は足も速かったらしい。
1990年に23歳で、清原和博は史上最年少の1億円プレイヤーになる。
1996年にFA宣言し、清原は、長嶋茂雄の巨人に入団。
阪神の縦縞を横縞にかえてでもとか、長嶋茂雄の3番を譲ってでもと、
この当時の清原への評価は日本野球史上最大のものといっていいだろう。
巨人時代の清原は、松井と3、4番コンビでMK砲を組んだが、どちらかというと期待はずれの印象を残してしまった。
1999年から清原は死球など、ケガとの戦いになる。
2001年は巨人との5年契約最終年で、更新があやぶまれていたところが、この年の清原は、打率.298、29本塁打、121打点と巨人入団以来最高の成績を残し、年俸大幅アップと4年契約を得ている。
2003年、松井が大リーグに移籍後は、清原はペタジーニをライバル、あるいはコンビにしている。
2004年には2000本安打を達成するも、2005年に清原選手は、巨人から戦力外通告を受ける。
そして、仰木監督の誘いで、清原、オリックス入団が決まる。
面白いのは、球団が、吉本興業と提携しているので、清原は、同年に入団した中村紀洋と共に吉本新喜劇に出演していること。
2006年には横浜のクルーンから、逆転サヨナラ満塁本塁打を放っている。こういうのが清原らしい。
2007年はひざの手術で、清原一軍出場なし。
これまでの悲壮にも思える清原のがんばりを支えていたものに盟友桑田のメジャー挑戦があったようだ。
その桑田も清原より一足先に、引退した。
2008年、8/2に清原は、現役引退を表明。
そして、10月1日に、盟友桑田真澄や佐々木主浩が見守る中、清原和博の引退試合が行われた。
まさしくドラマティックな、清原和博の野球人生でした。
清原和博の動画と画像